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是枝裕和監督 最新作『万引き家族』感想/家族ってもののカタチはなんだろう

こんにちは、山本です。

 

本日公開の第71カンヌ国際映画祭コンペティション部門で最高賞のパルムドールを受賞!是枝裕和監督 最新作『万引き家族』を朝からみてきました。

 

 

都会の片隅で、家族というカタチをした他人同士の共同生活。血も繋がっていない家族なのに、映画をみた後、猛烈に愛おしくなる家族のカタチを、私は見つけた気がします。

 


映画『万引き家族』予告

 

 

 

あらすじ

映画は、家族が肩を寄せ合いながら住む平屋の持ち主である初枝(樹木希林)と、治(リリー・フランキー)と信代(安藤サクラ)の夫婦、息子の祥太と信代の妹の亜紀(松岡茉優)の5人が生活しているところに、治が、親から虐待を受けていると思われる女の子を見かねて家に連れ帰るところから始まる。

 

彼らは、全員血の繋がりがない他人同士。でも、常に家の中は笑いが絶えず、口が悪かったりはするけれど本当に仲が良い。ただ、生活は困窮していて、初枝の年金を頼りにしたり、万引きをして生活している。

 

 

治が連れ帰った女の子の身体には、いくつも虐待の跡があった。その境遇を思いやり、信代は娘として育てることにする。信代の腕にも昔親から受けた虐待の跡がある。

 

祥太も幼い頃、治と信代に見つけられてきた子供。「勉強ができないヤツが学校にいくものだ」と教えられ、学校には行っていない。突如できた妹と時間を過ごすことになる。

 

だが、ある事件をきっかけに家族はバラバラに…。それをキッカケに、それぞれが持っていた秘密が次々と明らかになっていく──。

 

 

 

家族のカタチ

この映画をみて、おばあさんと両親と、それに相応な年齢の子供がいれば、それは外から見ればひとつの家族にみえるよな、と思った。

 

血の繋がりなんてモノは目には見えないし、一緒に、仲良く暮らしていれば家族ってことになるんじゃないかな…なんて。うまく言えないけど、女の子と虐待していた両親は、血が繋がっているから家族なんだけど、それって家族って言えるのかな?っていう気持ち。

 

赤の他人だけど、愛情をもって接してくれる治と信代や、祥太との生活は家族にならない。

 

親の責任感の問題かな。もしかしたら、治と信代は本当の親じゃないから、いざとなったら逃げるかもしれない。でも、本当の親でも行方不明になった娘の捜索願を出さない親もいる。

 

家族って、時には憎らしかったり、ケンカしたりするけど、それ以上にでっかい愛情が根底にあるものだと思う。その、根底にある愛情は、血の繋がりうんぬんは関係ないんじゃないかな。

 

根底に愛情がなくて、血が繋がっているだけで、戸籍で証明されているだけで家族ってなかなかキツイ。

 

 

 

映画タイトルの万引き

映画タイトルの万引きは、注目を集めるひとつの手だと思う。映画の中で、治が子供たちに手品を見せるシーンがあるけれど、それとだぶる。大衆の目を「万引き」で引きつけておいて、さらにもっと大きな問題を提言している作品だと思う。手品も、大事なタネに目がいかないように、見る人の目を違うものに引きつけておいて、最後手品が完成するから。

 

最近の万引きは、お年寄りが多いとか、とくに生活に困っているわけでもないのに万引きする人が多い。お財布にお金はあるのに万引きしたり。

 

この映画の家族のように、生活苦から万引きするような実態は、もうニュースにもならない感じがする。そこが逆に、世の中には、こういう家族もいるって言っているようにもみえる。

 

貧困問題と家族、格差社会と虐待。

 

どこに正しさがあって、なにが正しさなのか。法律では決して許されないことだけど、それを超える、別の正しさの存在を監督は訴えたかったのかなと思う。

 

 

 

少年の成長物語

この映画で、子供の成長と正しさの狭間を感じた。祥太という少年が、成長と共に感じる家族に抱く疑念。万引きはよくないことだと思っているけれど、それよりも大事にしたい絆。

 

ただ、どんどんと坂を転げて行くような生活に不安と疑問を持ち始める。守りたいと思える妹の存在も大きい。

 

少年の心が、成長と共に変わり始めて、家族も変わる時がくる。ずっと続くかのように思えた絆も、「ほら、本物じゃないから」と言わんばかりに壊れていく。

 

 

ただただ、泣ける。

 

人の心はわからないから、愛しているとか愛されているっていうのは本当のところはわからないけど、一緒に生活していた時間の中で感じたことは、本当だと思う。疑いたくなるような事実を聞かせされても、あの時間がすべて嘘だとは思えない。

 

映画を観ながら、「祥太、成長しちゃうんだよね…」と私は思った。でも、その成長も治と信代から愛情をもらっていて、絆があったから、“正しく”成長したんじゃないかなと思う。

 

 

 

もう一度だけ会えたらいいのに

バラバラになった万引き家族だけど、最後にもう一度会ってほしいと素直に思ってしまった。女の子の件もあるけど、あんなに楽しそうだった時間は取り戻せないのか。始まりがニセモノだったら、全部ダメなのかな?

 

親は選べない。

 

作品中でも出てくる言葉だけど、虐待するような親のところにいる子どもは、早急に引き取っちゃダメかな? 親の「責任」がなくなるとか、いろいろあると思うけど、それは引き取った後に詰めればいいわけで、まずは子供の安全を優先しちゃダメかな?

 

信代が女の子に、「愛しているから叩くなんていうのはウソ。本当に大事だったらこうする」って言って、女の子を抱きしめるシーンがある。もう、それだけで号泣。

 

誰が本当に必要な愛情を知っているんだろうと思う。女の子の本当の母親か、母親でもない信代か。実の子供を虐待する母親か、赤の他人の、母親でもなんでもないけど抱きしめてくれる見知らぬおばさんか。

 

 

家族って何を根拠に家族なんだろう。

 

 

 

まとめ

この映画が、第71カンヌ国際映画祭コンペティション部門で最高賞のパルムドールを受賞したことは、当然かもしれない。

 

私は勝手に、この映画の背景は日本人独特な“情”のようなものが流れていると思っていたので、それが海外の人にわかるのかな?なんて思っていたけれど、的外れだった。

 

 

私の中では安藤サクラさんがズバ抜けて良かった。すべてを包み込む母性が、素晴らしく輝いてた。

 

とにかくいろんな感情がわく映画。やりきれないような、胸が詰まるような。自分の家族についても考えさせられた。家に帰ったら、子供に愛してるって言おうと思った。社会について一緒に考える時間を持とうとも思った。