人生実践あるのみ!やってみたもん勝ち

やらない後悔より、やる後悔を

意図しない=ゲームクリア

お笑い芸人

 

お客にウケようがウケまいが

どっちでもいい

どっちもいい

どっちも「有り」が

→「意図しない」ってこと

 

なんでも「有り」がこの世界

 

なんでも「有り」を受け入れると

「意図しない」世界が広がって

ゲームクリアっていうと言い過ぎか

 

いや、言っていいか

ブログを読むのは楽しい

いろんな人のブログを読むのは楽しい

いろんな人が、毎日精一杯生きてるのが感じられるから

 

内容はどうだっていい

キラキラしていても

レッスンものでも

今日もうまくいかなかった系でも

病気のことでも

 

全部、ステキだと心から思う。

目覚ましが鳴ってますよ

これは目覚ましです。

これは目覚ましのアラームです。

 

なぜわかるかって、

私にも目覚ましのアラームが鳴りまくって

あまりにうるさいから目が覚めたんです。

 

 

これは、別の私にむけた目覚ましのアラームです。

 

 

あなたは私です。

 

あなたも

私も

同じものなので、

そういうことを

「それ」という言い方で表現する、ある人もいます。

 

でも、そのある人も私なので「それ」です。

 

 

 

これは目覚ましです。

これは目覚ましのアラームです。

 

一発で目が覚めなくても、大丈夫です。

スヌーズにしておきましたから。

どこにも着かない

毎朝ウォーキングをしている

 

ウォーキングの最中

気づくと

 

「張り切ったり」

「もっと良く歩こう」としたり

「目標を持ったり」

「姿勢良く」したり

「タイムや距離を伸ばそう」としている

 

また

「気持ちよく歩こう」

「清々しい気分を堪能しよう」

「この時期を大切にしよう」

「幸せを噛み締めよう」

「優雅な自分を感じよう」とかしている

 

そして

「どこかに辿り着こう」としている

 

 

ただただ

「歩くこと」が

できない

 

 

「もー!私はなんで“ただ歩くこと”だけのことができないのよー!」

 

 

そう叫ぶけど、

それでもいいじゃん。

 

「もー!私はなんで“ただ歩くこと”だけのことができないのよー!」

 

も、「私」がしていることじゃない

無題

「問題(−)」を「否定(−)」すると、あるものが「+(増加)」します

「問題(−)」を「肯定(+)」すると、あるものが「−(減少)」します

 

あるものとは

深刻さ

です

 

 

「世界(−)」を「否定(−)」すると、あるものが「+(増加)」します

「世界(−)」を「肯定(+)」すると、あるものが「−(減少)」します

 

あるものとは

苦悩

です

 

 

 

世界がなんでマイナスかって?

 

 

 

あなた、今ユートピアにいると思っています?

 

 

 

ディストピアにいる、とまでは思っていないけど

日々ユートピアに行きたいと願ってる

そんな感じじゃないですか?

 

 

ここからは受け売りですが、

お釈迦様でしたか?

「生きることは苦だ」とおっしゃったのは

「生きることはドゥッカだ」かな。どーでもいいかw

 

 

 

「生きることは苦(−)」を「否定(−)」すると、あるものが「+(増加)」します

「生きることは苦(−)」を「肯定(+)」すると、あるものが「−(減少)」します

 

 

あるものとは

です

 

 

 

どうした、釈迦まで出して!って?

ホント、すみません

 

 

 

「深刻(−)」を「否定(−)」すると、あるものが「+(増加)」します

「深刻(−)」を「肯定(+)」すると、あるものが「−(減少)」します

 

あるものとは

問題

です

 

「深刻になんかなってないわよ!私は冷静よ!」

問題ありそうですぜ!

 

「深刻になってたわ。そこまででもないのにね(笑。恥ずかしくなってきた」

ちょっと軽くなったんじゃない?問題が分解されそうね

 

 

 

「苦悩(−)」を「否定(−)」すると、あるものが「+(増加)」します

「苦悩(−)」を「肯定(+)」すると、あるものが「−(減少)」します

 

あるものとは

世界

です

 

「世界がドゥッカでできてるなんて!ありえない!許せない!」

世界はまだまだ厳しそうですね

 

「世界がドゥッカで……じゃあぁ……どーしよーもないかっ!」

世界が優しくなった気がしません?

 

覚者のことば

先日、覚者に会いまして

お会いしまして

お目にかかりまして

 

 

ホントに、その方お話が上手なんですよねぇ

私も「わかるわかる、わー面白い言い回し〜絶妙ー!」

なんて心の中で叫びながら居たんですけど

 

 

覚者の話す内容の、それぞれの「立ち位置」があるとするならば

その「立ち位置」が、結構飛ぶのを感じたんですよねー。

 

 

話し上、そうならざるを得ないのと

切り分けられないというか、当然すべての項目が関連しているので

重々承知なんですけど

 

だからこそ、

こんな話し方ができるなんて、ホントすごいなぁーなんですけど。

 

 

私が感じた「飛ぶ」を具体的に表現すると

多角的な話、前後した話、違う角度からの話、

もっというと視点の高低差や身を置く世界の違いによって捉え方が変わる話等が

全部入っている感じ

 

 

なので、

「これ、混乱する人は混乱するだろうな」とか

「全然勘違いして解釈する人いるだろうな」みたいに思ったってだけw

 

 

 

正直フェースはあると思う。

今どのフェースにいるかで、同じ話を聞いても

「?」だったり「うふふ」だったりする違いは出てくると思う。

 

まぁ、こういう話だけでなく、全部がフェーズで分かれてるっちゃーそうだけど。

(私の中ではフェーズよりレイヤーって言いたいんだけど、どうでもいいかw)

 

「限られた視点」「限定された認識」ってヤツですね。

だから、なにも悪いことじゃないのよ、フェースの違いもレイヤーの違いも。

 

 

 

で、なんだっけ?

「覚者のことば」か。

 

「覚者のことば」をありがたがっているフェーズからは抜け出した方がいい(笑)

「空(くう)」のが上とかないから

それを「空(くう)」という言葉で表現しますけど

それを聞いて、人は「空(くう)」に憧れて

 

もっというと「色(しき)」より素晴らしい

特定の場所のように捉える

 

 

全然

ずえんずえん

まったく

これっぽっちも

 

 

ちがう

 

 

 

「色」より「空」のが上とか

「空」より「色」のが下とか

 

 

「空」に住みたいとか

「色」を離れたいとか

 

 

覚者は「空」に住んでいるとか

凡人は「色」に住んできるとか

 

 

全然

ずえんずえん

まったく

これっぽっちも

 

 

ちがう