人生実践あるのみ!やってみたもん勝ち

やらない後悔より、やる後悔を

言えない雰囲気

こんにちは、山本です。

 

私は「言えない雰囲気」というのが大嫌いです。

 

 

 

どうなっても自分の意見はその場で示す

とくに、これは私にとって重要だと思ったら、「異議あり」な時は、まず相手の意図など聞きます。私の理解不足かもしれないので、もう一度意図を聞いて「あ、私の理解不足はないな」と確認したりします。

 

聞いて「あー、そういう意味だったの?わかるわかる」なんて時も、私の思っていることを話ます。できれば、あなたのその意見に私の見解も含んで欲しいという意味も込めて。または、私が重要だと思うことと相違ないか確かめるためにも。

 

完全に理解できん話だという時、私は黙っていることができません。

 

自分の方が正しいのを主張したいとかではなく、あなたと違う意見を持っている存在がいますよ、という意味で。また、私にも意見をいうべきだと命令する、もうひとりの自分がいるような感覚になります。

 

 

なぜにこの話?

どうしてこんな話をするかというと、話題の日大アメフト部の話。(異論や意見を)言えない雰囲気だったとかの状況を聞くと胸が詰まる。

 

自分が異論を言えなかったばかりに、仲間がルール違反をするのを容認するようなことになるって、どれほどの怖い状況か。

 

 

意見に対する考え方

私は、意見が出ることを前向きに捉えた方がいいと思う。ただ前提には、昇華された総意に至るようにするため、があってだけど。(単なる誹謗中傷、個人的な攻撃ではなくてね。)

 

AかBかではなくて、Aの意見がでました。Bの意見があります。ほうほう、じゃあいいとこ取りしてCなんてどう。お、そっちのが発展的で面白そうだね。じゃあ、もっと未来チックにDなんてどう? それやりすぎじゃない?みたいな(どんな、みたいなだ?)

 

そんな中で、絵の具の黒と白だけの話し合いより、赤や黄色や緑や青も意見を言っていいと思う。採用されるとかされないよりも、「俺も絵の具の一員として、色は出します」って感じで。

 

 

ミーティングや会議に居合せる意味

俺の意見が採用されなきゃヤダー!ってレベルではなくて、意見や考えをもっとより良くしてくれる作業と捉えた方がいいと思う。

 

私の意見にあなたたちの叡智を注いでくれるの?ラッキー!私の考えがどんどんすごいものになっていく、な。「発端はオマエでも、もうすでにオマエの意見ではないけどね」でいいと思う。

 

話し合いの場に、なぜ自分がいるか。テレビの(ブラウン管はもうないか)前で話し合いを聞いているのではなく、その場に居合せていることの意味は、君の意見が聞きたい!ってことだと思う。君の意見が出ることで、良くも悪くも起こる化学反応のために居あわせている、それを起こして!って謎の声が頭の中で聞こえない?私だけか。

 

 

意見が出ないは死んでいる証拠

意見が出ない場は、たいてい死んでる。「言えない雰囲気」になっている。その原因は内田前監督みたいな人のせいかもしれないし、当事者意識の少ない人が大半なのかもしれない。ただ、その場にいる自分まで死んでも嫌だ。私だけは死んでない。

 

あー、でも私もすべてにやる気満々で聞いているわけではないですよ。いつでも熱い意見を持っているとかではなくて、意見は持っているってことね。賛成とか反対とか意思はもっているし、それは伝える。

 

意見が出ない場や言えない雰囲気の場にいる時、すごく居心地が悪い。それがいや。

 

 

反対意見にWelcomeを

自分の意見と全く逆の意見を出してくる人に出会うと、「わぁ〜この人、私の地球の裏側に住んでるな」と思う。でも、遥々遠くからようこそって気にもなる。思いもよらない意見を言ってくれると、「こりゃ、補強してくれようとしているな」と思う。どこまでも自己中な考え方かもしれないけれど、意見を言ってくれる人を敵だとか、潰しにきたなと捉えるのはつまらなくする。

 

かりにそうだとしても、かりに潰しにきていたんだとしても、それを包括する術を身につける機会にしたい。

 

 

まとめ

良くしようと向かっている場なら、いろんな意見が出た方がいいと思う。良くしようと思っているなら、自分と真逆の意見も聞く耳を持つべきだと思う。良くしようと思って意見は言うべきだと思う。

 

意見の合う合わないより、意見を言うってことが大事だと思う。自分の意見を持つこと。発していいと自分に許可すること。自分を大事にすること。

 

自分の心が死んでしまいそうになるくらいなら、黙って過ごしちゃいけない時はある。すべてに当てはまる意見ではないとは思うけど、意見って、自分の人生を自分が握っていると表す、ひとつの手段だと思う。