人生実践あるのみ!やってみたもん勝ち

やらない後悔より、やる後悔を

誰かと比べている限り、自分探しは終わらないんじゃないか

こんにちは、山本です。

 

今日はあるイベント?講演?トークショー?に参加する予定で出かけて行きましたが、新幹線運転停止により講師の方が会場入りできず、中止となりました。

 

ただ、主催者が急遽内容を変更してくれ、世界の情勢やその中での日本とは、みたいなことを、主催者が最近行かれた北欧旅行の内容を交えながら話してくださいました。

 

 

 

イベントは内容を把握してから行こう

今回、Nさんに誘われて参加したイベントでしたが、ほぼ内容を把握しないまま「行きますよ」と二つ返事で行ったので、講師がこようがきまいが、私にはなんの問題もないくらいなスタンスになってしまいました。

 

で、時間が経つにつれてイベントの内容をだんだんと把握したのですが、幼稚園児ぐらいの子を持つママたちに、海外の教育方法だったり、それと対比した日本の教育の現状を話して聞かせたり、あとは私たちがどれほど枠に囚われているか、もっと自由でいいんだよ的なことをイベント等を通じて話してくれる場だということがわかりました。

 

簡単に言うと昭和の考え方から脱却しよう!かな? いや、グローバルな生き方をしよう!かな? 

 

 

例えば、子供が学校に行かなくてもOKとか。「ねばならない」はないんだよ。海外ではもっと子供自身が自分のことを選択する力をつけているよ、とかかな。あとは、円の価値って減っているけど、みんな日本を脱出できないよね。英語話せないし。今後消費税が15%とかになっても甘んじて受けちゃうよね。でも、海外で暮らすって選択だってあるんだよ。凝り固まった価値観や「できない」って考えに囚われないで!ってね。

 

イベントには主催者夫婦とママが20名くらいいたかな。

 

私はふうんって感じで聞いてました。

 

 

中学受験に悩む親御さん

その会場で、小学校4年生の子供を持つママに出会いました。そのママの目下の悩みは、子供に中学受験をさせようかどうしようか、というもの。

 

そのご家庭では、難関中学校受験を目指しているワケではなく、それよりはユルい私立中学に入学させて、高校受験をパスした方が子供のためじゃないかという考えでした。お子さんが勉強が好きではなさそうなことが理由と、英語がない中学受験のが高校受験と比べて楽なのではないか、ということでした。

 

そのママさんに「ユルい中学に入れたら、本人がぬるま湯に浸かってしまい、その後目標を持たなくなるかもしれないと思うとそれも悩むけど、どう思うか」と聞かれました。

 

私はそれに対して「ユルいと思うか、ハードと思うかは本人による。イージーがダメでハードがいいとも思わない。ユルいから目標を持たなくなるとも限らない。ハードでも目標をもたないかも」という返事をしました。

 

自分でも無責任な返答だなとは思いましたが、なぜそんな返事をしたかは後述します。

 

 

枠や型やジャッジメント

イベントへの行き帰りは、Nさんの友達のAさんもいました。Aさんには、今小学6年生になるお子さんがいて、そのお子さんは学校には行っていません。中学校からは学校に復活したい思いがあるそうです。

 

帰りの道すがら、Nさんが「世界は広いって話しを聞くのはいいんだけど、じゃあ私の日常の何から具体的に変えられるんだろうって思う」と素直な感想を言っていました。海外って素敵!やっぱり子供はグローバルな教育を受けさせたい!とはいえ、インターナショナルスクールに入れられるわけでもなく、海外移住ができるわけでもない。今日家に変えれば日常が待っている。

 

それに対してAさんが、「できない理由は成り立たなくなってくる。できると思えばできる」と言っていました。

 

 

先にあげた、子供の中学受験に悩むママもそうですが、このイベントに何度も参加するうちに知らない世界を知ることができて、自分がどれだけ凝り固まった考えをしてきたかがわかったと言っていました。

 

もっと自由でいいんだとか、行動に制限をかけていた、ブロックが外れたといった表現をされていました。多分、こういうイベントに参加するママたちなので、教育に対する意識も高いんだと思いました。

 

ただ、それらを通して私が思った事は、それでもやっぱり正解探しをしに来ているのではないだろうか、という点です。

 

うまく言えないけれど、「へー、海外ってやっぱりすごい! 日本はダメよね」「円ってそんなに価値がないの!これからは海外に出ていく子供に育てなければ!」「お金の自由や時間の自由を手に入れている主催者家族がうらやましい」とか。枠や型やジャッジメントを手放しているようで、どっぷりジャッジしているなぁといった感じ。

 

なんだろう、この違和感…な時間を私は過ごしてしまいました。

 

 

みんながみんな成功者

私は、一人ひとりが、オリジナルの人生を生きていることが成功者の証だと思っています。

 

誰とも全く同じに、全てを同じようには生きられない自分ってだけで成功していると思います。

 

こういうイベントに参加すると、すでに成功しているのに、誰になろうとしているんだろうという思いばかりが浮かんで、例えば中学受験に悩むママに対する返答も、なぜああ答えたかというと、「ユルい」は誰の何基準で、誰にOKを出してもらえたら「GO」が出せるってことになっているんだろうと思ってしまうわけです。

 

もっと言えば、世の中の「良い」と言われるものとズレても沿っても、選択したすべてが、結果すべて正解になるんじゃないかなと思ってしまいました。間違えたくても間違えにならないって言ったらいいのかな? オリジナルだから正解しかないっていうか。

 

Nさんが「世界は広いって話しを聞くのはいいんだけど、じゃあ私の日常の何から具体的に変えられるんだろうって思う」に対しては、あなたの今の生活に何か問題があるの?って聞きたくなります。

 

素敵な話を聞くのはいいけど、それが「正解」になっちゃうの? より良くしたいと思う中で、できることやしたい事をしていたらいいのでは? というか、今のままでも十分に成功しているのになぁ、どこに探しに行っても、正解は変わりようがないと思うよ、と。

 

誰かの成功は、あなたの成功にはならない。誰かの成功を真似ても、あなたの成功にはならない。

 

世界の話を聞いて、見聞が広がるのは楽しい。いろんな比較や対象から自分を把握するのも大切だと思う。でも、そこから旅に出始めると、ゴールにたどり着かなくなると思う。だって、すでにゴールにいるから。それを否定することになっちゃう。ゴールがなくなっちゃう。

 

 

まとめ

世界は素晴らしい。でも私も素晴らしい。あの人は正しい。でも私も正しい。なぜなら正解は同じじゃないから。それが正解だから。

 

私も悩む。子育てについては、本当に悩む。中学受験に悩んでいたママも言っていたけど、「母親である私の価値観だけを子供に押し付けるのはいかがなものか」は、私も思う。昭和的な考えが通用しなくなって久しいのに、そのままの考えしかない親に育てられた子供たちは不幸なのでは?なんて思う時もある。21世紀彼らの活躍を願うのに、その目を摘んでいるのではないかと思う。

 

悩むのはしょうがない。ただ、どこにも正解はないから、というか、どう選んでも正解になるから、悩むこと自体を楽しむか、変に問題を増やさないか、問題を問題視しないかしたいと思う。

 

素敵な話の中から、やりたいと思う事だけしたいと思うならすればいい。してみても、全く同じの成功はしないから。自分の成功となるから。だったら、誰かの成功に憧れる必要があるかな? 自分の人生も十分に素敵。だって、誰にも真似できないし。

 

 

だれかにとっての成功も、私にとっては成功じゃない。万人に共通する成功はないと思う。オリジナルに生きていることがすでに成功だから。

 

自分を大事にしよう。