人生実践あるのみ!やってみたもん勝ち

やらない後悔より、やる後悔を

自分の世界だから主導権を取ろう〜「の」と「ほ」の話〜

東京株式市場見通し
  • 軟調な展開となりそうだ。
  • 前週末3日は下げ渋る格好となったが、現地3日の欧州主要市場の株価は、米国での新型コロナウイルス感染拡大による欧州経済への影響を警戒し下落している。
  • 手掛かり材料に乏しいなか、週明けの米国株式の動きをみたいとして、手控えムードが広がりそうだ。
 
 
毎日面白い動画を観て、幸せな気分で過ごしています。
いやーありがたいっす。
 
さて、今日はこの題名。どんどん株から遠ざかっていますけど
それはしょーがない。
 
今月前半はしばらく距離をとります(え、決してマイナス食ってることから目をそらそうとしているわけじゃないですよ…決して…汗)
 

あ、その前に、このブログで(カッコ)が多く出てきますが(カッコ)は飛ばして読んでもらっても大丈夫。
に、「カッコ」は強調くらいに思ってね。太字も強調ね。「カッコ」いっぱいになっちゃいそうなときに使ってるだけだから。
 
 
前提に、ブログでも動画でも、読んでいて「ピン」とこない時は、それだけのことです。
私も経験あります。書籍を買って読んでみたけれど、全然理解できなかったり、腑に落とすまでいかなかったり。
 
でも、後々(または別の機会、タイミングに)読み返したら「めちゃめちゃわかる!」ってこと、めちゃめちゃあるんで大丈夫です。
 
この情報に出会ったことが、変化の兆しと思っていただければ。
「兆し」程度でも「良し」としてね。
 
 
結論から先にいうと、
自分の現実(「世界」「人生」って言い換えた方がわかるなら、それにしてもらってOK)を人(自分以外)と「比較」して、
「足りない」「かけてる」「幸せじゃない」「不幸だ」等々思ってる間は、なかなか苦しいよ。
 
 
 
「比較」は使い方による。
「差異」も捉え方による。
 
 
これまで「比較」を「優劣」ハッキリするために用いていた人が多いと思うけれど、比較は辞書にある通り「比べてみること。比べあわせること」なのね。または、
「比較」は3つ以上の物事並べて比べる場合にも用いられる場合があり、また相違限らず類似または一致する部分にも着目する意味で用いられる場合がある。

 

 
比較してもいいけど、それで優劣がわかるわけじゃない。
これからは「比較」とは「同じじゃないことの確認」くらいに捉えてね。
 
 
 
例えば「新型コロナの感染者数を先月と比較しましょう」なんてメディアでいっていたら、
「先月と今月は同じじゃないってことがわかったのね」と。
 
 
 
私と私以外は、同じじゃない世界に生きているよね(別々の世界に生きているよね)。
だって「価値観」とか「考え方」とか何を選択するかの自由は個々人のものだということ。そしてそのパターンの組み合わせは無限。
超不思議なことに、あなたと全く同じの価値観と考え方をしている人はひとりとしていない、という意味で同じ世界に生きてないよねってこと。
 
私が「良し」としているものを、ある人は「悪し」としていることがあって、逆もまた然りな時点で、見ている世界は同じでも、感じる世界は違うじゃない?
 
 
自分の現実はあなただけのもの。
だから、違うもの同士で「比較」するのは「同じじゃない」ことを知るだけで、どちらが優れている劣っているの話じゃない。
 
 
そもそもの根底(価値観なり)が違う上に作られているのに、「優劣」つけるのも「え?」「は?」だし、
もっと言えば、誰か(自分以外)が決めた「良し・悪し」を基準に、「間違った比較(優劣をつけること)」をして、自分の世界(現実)に「悪し(劣)」と烙印を押すのは、苦しさしか生まないくない?
 
 
 
え?まどろっこしい?
たしかにまどろっこしい。
 
 
簡単にいうと、自分の世界なんだから、自分で「私の世界はすばらしい」としないで、誰か(自分以外の、別の価値観を持った人)の基準に則って「私の世界は何か欠けている」と決めちゃうって、どうなの?と。
 
自分の世界の主導権を自分に返そうよ。
自分の人生の主導権は自分にあるよ。
 
 
 
最初に言った
「自分の現実を人と比較して、「足りない」「かけてる」「幸せじゃない」「不幸だ」等々思ってる間は、なかなか苦しいよ。」は、
 
あなたの現実は人と同じじゃないよね。例えるなら、ある人の人生は「A」というカタチで、あなたは「α」というカタチだ。
ただそれだけなのに、私の人生は「A」に少し「欠けている」「足りない」から「幸せじゃない」「不幸だ」と判断するのは間違えていない? 
さらにいうと、「A」が「優」であるというのは、本当だろうか? あなたと根底が違うものなのに「優」ってしちゃう?
その中で生きている間は、主導権を他にあけ渡している状態なので、苦しんじゃうよ。
 
 
なんか、同じことしか言ってないな(笑。
 
 
あなたが「ほ」だとして、誰かが「の」だとしよう。
「ほ」は「の」とちがう。でも、「ほ」は「の」に何かが欠けているのかな?
 
「の」が「のの世界最高!楽しんでるぜー」と言っていて、「ほ」がそれに憧れたとしよう。
憧れる「のの世界」が「最高」なのだから、その「最高」じゃない「ほ」の私って不幸なんじゃない?と思いはじめる、みたいな(笑
 
 
 
「憧れるのがよくないの?」
 
 
 
憧れるのがよくない、というより、
「の」が「のの世界最高!」と知っていることに、あなたはモヤモヤしているんだよ。
本当はね、「ほの世界最高!」も知っているのに、忘れていることに気づかず、「の」に憧れて、「の」じゃない「ほ」の自分に「×(バツ)」をつけてる。
 
 
 
ちょっと、やばい。
「の」と「ほ」の例えが、笑えるほどキツイ。なんだこの話ってなってきちゃった(笑。
やめよう。