人生実践あるのみ!やってみたもん勝ち

やらない後悔より、やる後悔を

久しぶりに観た『火垂るの墓』ー清太はん、働かんなぁー

こんにちは、山本です。

 

先日、高畑勲監督がお亡くなりになり、追悼盤組で『火垂るの墓』を放映していましたよね。

 

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ウチの長男はジブリが大好きなので、『火垂るの墓』を録画して、毎日のように観ています(私は『かぐや姫の物語』が好き)。

 

「せっちゃんが死んじゃうから辛い」と思いつつ、私も久しぶりに『火垂るの墓』を観ました。

 

そうしたら、なんだか以前観た時とは全然違う感情が渦巻いてきたんですよね。

 

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清太さんってプライド高いな

昔は「西宮のおばさん、キッツイ人だな」と思って観ていました。「子供相手にそこまでケチるな」とか。せっちゃんがおばさんを嫌うのもムリないわ、と納得していたんです。

 

でも、今回はそれよりも、清太さんのプライドの高さが気になり、おばさんの言う「謝りもせんと可愛げない」に同感しました。

 

だって、清太さん本当に何もしないし、愛想がないし、居候ってことがどこかわかってないし。

 

 

お母さんが銀行に貯金しておいてくれたお金も、結構な勢いで使うし…。

 

「働かざるもの食うべからず」。私この言葉嫌いなんですけど、ただね、助け合うことは必要だと思うんですよね。当事者意識というか。

 

おばさんも戦時中。清太さんとせっちゃんも戦時中。

 

清太さんもせっちゃんを理由にせず、ちょっとは消防活動に参加するとか、「オレくらいの年齢のヤツ、何してるかな」って、観察しなかったかな。

 

 

 

せっちゃんが死ぬの待ってなかった?

これは、長男の前では口が裂けても言えないのですが、清太さんは気持ちのどこかで、せっちゃんが回復することを諦めていたのではないでしょうか。

 

清太さんが火事場泥棒で盗んだ着物を「母親の形見」とか言って、おばさんに売りつけたけど、見事に断られて帰ってきた時、せっちゃんの人形が落ちていて、ハッとして周りを見渡すんです。

 

せっちゃんは草の上で倒れているんですけど、清太さん、すぐに声をかけないんですよね。

 

せっちゃんの頬にアリが歩いてて、それをしばらく眺めている感じ。

 

そのシーンを観た時に、「あれ?清太さん、なんでもっと必死になって起こさないの?」という疑問が沸きました。

 

死ぬのを待っていたとまでは言い過ぎかもしれないけれど、自己中な清太さんのことなので、「せつこが死んだら(死んだで超悲しいけれども)、オレは(肩の荷が降りて)もっと自由に…」って考えたりしたんじゃないかな、なんて。

 

せっちゃんがやせ細っていくのに、清太さんの頬が意外にもふっくらしているように見えたりして。

 

 

 

人のこといえない

「あー、少年なりにもプライドがあるのね」と思ったりしたけど、実はプライドなんてものはいらない。

 

しかも、そんなものはプライドでもなんでもないと、私も自分の人生を通じて気づいたのは、遅かった方だと思う。

 

実は清太さんのことを、とやかくいえない。

 

私が19歳の時、父親の姉が住んでいる鹿児島まで旅行に行き、一晩お世話になったことがあった。

 

その時私は、親戚の家で我が家のように過ごした。すると、おばさんの旦那さんに「あいさつもろくにせん。食うだけか」と言われた。

 

それを聞いた私は、ふくれるだけだった。ご飯をいただいた片付けをするわけでもなく、泊まらせてもらえることに感謝することもなく、当たり前に思って過ごした。

 

清太さんと大差ない。いや、年齢からしたら、私の方がイタイ。

 

 

 

戦争はいかんし、子供に親は必要

清太さんやせっちゃんのような子が、今現在も世界に、日本にも存在すると思う。

 

清太さんが野菜泥棒をして捕まり、これを機会に心を入れ替えたかと思ったら、もっと悪くなって火事場泥棒になる姿をみて、「この転落ぶりは今の時代にもあるな」と思った。

 

時代が悪い、世の中が悪い。そう叫ぶ清太さんの声が聞こえそう。

 

 

戦争が起こらなかったら、清太さんとせっちゃんは両親を失わなかっただろう。

 

両親は、甘ったれな清太さんを甘ったれたまま成長させたかもしれないけれど、子供にとって両親のいる、いないは影響が大きいと思った。

 

いてくれるなって親もいるだろうけど、方法を知らないとか、抜け出せる策を知らないとか、それ以外を知らないって世界に、子供だけだとハマりやすい。

 

「そんなことを教えてくれる人は誰もいなかった。」

 

「自分から知る努力しようよ」というのは簡単だけれど、無知にもレベルがあるんだよね。

 

 

 

Five Orders of Ignorance

無知にも5つのレベルがあるそうで、

 

  1. 全部分かっている
  2. 分からないことが分かっている
  3. 分からないことが分からない
  4. 分からないことが分からない状況を何とかする術を知らない
  5. 無知にレベルがあることを知らない

 

なるほどね。

 

「そんな世界があることすら想像もしなかった。」

 

子供にそんな思いをさせたくないなぁ。いろんな世界を教えてあげたい。そのためには戦争はしていられない。

 

 

今回、私がこの『火垂るの墓』を久しぶりに観て感じた違和感を、ブログに書こうと思ったのには理由がある。

 

火垂るの墓の清太は私だ 

節約系ミニマリスト0.5のrupannzasannさんのこのブログを読んで、「あ、私の違和感はひとつの感想として書いていいのかも」と思ったから。

 

それまでは、泣いている長男を横目でみながら、「ここまでひん曲がった感想を持つ私は、けがれちゃったのかな?」とか「感動と程遠い私は非道かな」と少し思っていたから。

 

高畑勲監督が作品に込めた意図は、多種多様にあると思う。今まで私が観てきた側面も間違いではないと思う。ただ、別の側面を、監督の死というこのタイミングで知ることができのは、なんか、変な気分だけど。

 

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