人生実践あるのみ!やってみたもん勝ち

やらない後悔より、やる後悔を

グリップ力 ー 上の者が下の者の思考力を停止させ、下の者を思いどおりに利用する力のことだ。by『まんがでわかる 属さない勇気』

こんにちは、山本です。

 

最近つくづく、今の形態の会社とか組織って必要あるのかな? なんて思ってしまいます。

 

たしかに、大勢でやることで、ひとりではできないことを成し遂げられることはあるでしょうけど。

 

大勢の中での人との関係性って、みんな対等じゃダメなんですかね?

 

さて、今日は私の好きな堀江貴文さんの著書『まんがでわかる 属さない勇気』を読んで、フムフムとなったあたりをご紹介します。

 

 

 

改革すべきは生き方

 

自分自身が「生き方改革」を実行すれば、「働き方改革」など必要ない!

働き方とは働き手が自分の意思で決めればいいだけのことだ!生き方や考え方を自分自身で改革すればいいだけの問題だ!

 

大事なのは働き方改革ではなく、生き方改革。これ、堀江さんだから言えるのでは?と思いがちだけれど、私も同感。

 

ちょっとズレるけど、会社で自分のプライベートの電話が鳴っても、出るのにためらいを感じて出ない人がいる。

 

私が会社に勤めていた時にも後輩がその状況になっていた。電話の相手はお母様。

 

私が「なんで出ないの?」と聞くと、

彼女「仕事中だし、自分の身内だから」

 

私はそれを聞いて、私は会社より自分の母親のが大事だなと思った。彼女に、

 

「大事な用事かもしれないし、あの時電話に出ていれば…なんてことになっても(私が)気分悪いから、掛け直したら?」と勝手に許可を出した。

 

掛け直した彼女。結果「大した用事じゃなかった」と言っていたけれど、なぜ(自分が契約している)電話にでることすら罪悪感を感じないといけないのだろう。

 

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フツーはこうだよね

マジメ人間に未来はない!世の中が常識だと信じているものを疑う勇気を持て!

 

同世代のママ達の会話でよくあるのが、「フツー(常識的に)はこうじゃない?」というもの。だから、突飛なことはやめようとか前例に倣おうとか。周りの目を異常なまでに気にして、安全な道をいこうとする。

 

周りからの批判を恐れて、やらなくてもいいことまでやろうとする。

 

もっとタチが悪いのは、「私もやるから、あなたもやって(でないと、私だけ常識に倣っても、あなたが非常識だと私の努力が台無しになる)」。

 

大抵は「そこまでやる必要ある? 逆に自分の首しめてない? ヒマじゃないでしょ?」と言ってあげると、ムダなことをやめてくれるけど。

 

本当に必要かどうかの選択を自分で見極めずに、世間一般で考える人は多いと思う。

 

やらなくても怒られないことって意外に多いよ。実はあの慣習はヤメたかったってこともたくさんある。

 

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親に植えつけられた常識を疑いながら生きる

知見を得る相手として「親」は信用に足らない

 

私はこの言葉をみた時、アインシュタイン

Common sense is the collection of prejudices acquired by age 18.

常識とは18歳までに身につけた偏見のコレクションのことをいう。

 

を思い出した。

 

これについては、自分の子供にも伝えたことがある。

 

「18歳までは親(私)の言うことをききなさい。でも、18歳をすぎたら、今まで親からインプットされたことは、本当だろうかと検証しながら生きろ!」と。

 

検証したら「その通りだった」ということもあれば、「全然時代錯誤だろ!」や「つまらん考えだ」と思うこともあるだろうと。

 

でも、対照がないことには比べようがないべ。

 

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思考をグリップされる

上の者が下の者の思考力を停止させ、下の者を思いどおりに利用する力のことだ。グリップ力と言ってもいい。

下の者は上の者に対し、「逆らえない」「逃げられない」と勝手に服従してしまう。

 

これ!まさにこれ!私が大嫌いなグリップ力!

 

する方もする方だけれど、される方にも問題ある。

 

私が過去勤めていた企業では、社長がこのグリップ力の相当な使い手で、よりグリップ力が有効になるよう、新卒しか採用しないようにしていた。

 

だから、カリスマというより宗教みたい。

 

新卒たちは「これが社会か!これが会社か!」と洗脳され、本来休みである土日も出勤。業務あと、どこやらで社長が講演・登壇するとなれば、聴衆として強制参加させられていた。

 

「おいおい、同じ大学の仲間で、他社に就職したヤツの話も聞いてみなよ」とアドバイスすると、

「彼らは、土日遊び呆けています!僕は会社(社長)の理念のために、今はがむしゃらになるべき時期なんです」

と、外界とのコンタクトさえ切っていた。

 

 

また、「自分が選んだ会社が、ヘンな会社だったなんて思いたくない(気づきたくない)」とか「私の(過去の)決断は正しかったと証明してみせる」という考えも見え隠れする。

 

かと思えば、「社長に認められたい!」とまで考える。逃げられないなら褒められよう、ってことかな?

 

訂正は、早めの方がいいのでは?

 

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属さない勇気

「属さない」ということで、会社をすぐ辞めよう!ってことではないけれど、会社にいるあいだに、考え方や生活まで会社に服従するのをやめるトレーニングはしたらいい。

 

後輩にそうアドバイスしたら、それを知った前出の社長に「若い者をまやかすな!」と言われたことがある。

 

まやかしてるのはどっちだよ!

 

自分と会社との関係性を冷静に見極めるべきだと思う。「雇ってもらえてる」なんて考えはしないほうがいいと思う。

 

従業員が会社にへりくだる時代は終わってると思うよ。