認めてほしいが巡って人間関係がコジレル
先日、「超・自分の事認めてほしい人」に会いました。
その人、すごく怒ってました。
「私はこれだけやってきたんだ!だから受け入れられないのはおかしい」
「まず話を聞いてください。これまでの人たちは話を聞いてくれて、私のがんばりをねぎらってくれました。」
「思ったことを言ってるだけなのに、なぜ否定されなきゃいけなんですか?」
「数人の占い師から、あなたは素直な人だって言われたことあるんです」(←なぞ)
まぁとにかく、自己主張というか、否定されてなるものか!みたいな、いやむしろ私の苦労をみんな認めるべきだろ!と吠えてましたね。
正直、私にもこんな一面あるだろうな、と思ったのと(ここまで激しくはないけどね)、「認められたい」っていう欲求は、存在意義にも関係するんだなと思いました。
で、その「超・自分の事認めてほしい人」(Aさんとしましょうか)は、Aさんが「認めてくれない」とカテゴライズした人(Bさん)に向かって、「Bさんは否定的だ!」と「認めない」判定をしているんですよね。
なに、この場面……堂々巡ってる
人間関係について悩みって尽きないじゃないですか…
もし今あなたが人間関係に悩んでいたら、もし誰かとの関係で悩んでいたら、素直にその「相手を認めているか」、自分の心を確認した方がいいと思います。
まぁ、ほぼほぼ認めてないと思います(笑
「認める」って意味ですが
1 目にとめる。存在を知覚する。気づく。「人影を―・めた」「どこにも異常は―・められない」
2 見て、また考えて確かにそうだと判断する。「有罪と―・める」「頭がよいと―・める」
3 正しいとして、また、かまわないとして受け入れる。「自分の非を―・める」「試験に教科書の持ち込みを―・める」
4 能力があると判断する。「世に―・められる」
5 気をつけて見る。じっと見る。
「五百の仏を心静かに―・めしに」〈浮・
・六〉
なので、「認めていない」は、これの逆をやってるんです。
そこで「認める」の行動としては、
1とすると、相手が嫌な人でも、存在を認めてあげてください。存在を消そうとしないで!(笑 居てもいいじゃん、と。
2でいうなら、「そういう考えもあるよね」と考え自体が「ある」ことを認知してください。良いとか悪いとかじゃなくて、「おおっ、そんな考えが存在したのね、そうだよね、君がそう発言したということは「存在」を見たよ」と。「ほう、「ある」ね」と。
その考え「なし」だよねとか、「ありよりのあり」ね、の話じゃなくてね(複雑
3は「かまわないとして受け入れる」が、そのまんま。「まぁ、(彼としては)正しいんだろうね、とそれでかまわんか」な感じかな。
4なら、相手はバカじゃないと、ちゃんとその人なりに生きていることを能力あるとしてください。
5は、それこそ無視するな!かな(笑 認めたくない相手って、消したくなるよね(笑
存在消したくなっちゃうけど、気をつけて見てあげて。「いる」から。逆に「じっとみて」あげて、それを実は望んでいるのよ。
人間関係について悩みって尽きないじゃないですか…でも結構な確率で打ち消しゲーム。「認めてあげなーい!」ってすると、より認めさせようとしてグイグイくるから(笑
これ、自分に対しても言えますから。っていうか、自分に対して「認める」でないと、なかなか自分以外を「認める」が難しいこともあります。あー、別の機会にしよう。
そして注意は、
認めるのと、正しい・間違っているの判断をつけることはいっしょじゃないから。
ああもし、認めるとかの次元じゃなく、マジ大嫌いで無理!なら離れていい。さようなら〜って。自分のストーリーの登場人物から外していい。自分から去ればいいわけですよ。
「え?そんなことしていいの?」
それのなにがダメなの?
他人はいろいろ教えてくれる存在だから、そこから逃げたらダメだとか、全部肯定してなんぼとか、まぁいろいろあるよね。全部そうだと思うよ。ただ、そこからどうしたいかは選択していいわけさ。
自分が何がしたいか、そのためになにするか。
「認めさせたい!」なら自分からまずは「認める」の選択肢もあります。
「あの人との関係を断ちたい!」なら物理的な距離をとって関係を断つ。
「嫌いな人を好きになりたい」なら自分から「好き」になるように「好き」なところを探す。
「もう会社の人間関係で悩みたくない」なら「独立する」もあるよ(笑
本題からズレたように思うけど…
実は「認めてほしい」は、超簡単で、自分で自分を認めてあげる、で終わりですけどね。
1〜5で十分ゆるぎないでしょ?
1. あなた存在しているじゃない。存在知覚できるでしょ
2. いろんなことを考える存在として「いる」なぁ、私
3. 存在していいから存在している、かまわんからおるんだがね
4. 生きているでしょ、能力を持ち合わせてますよ
5. 自分を無視するな! ちゃんと見てあげて、じっとみてあげて!
これを他人に求めんでも、自分でできるで大丈夫。
え、東大でてないから認められない?
やろうと決めたことが、いつも三日坊主だから認められない?
顔がイケメンじゃないから認められない?
性格がひねくれてかわいくないから認められない?
そんなこと辞書にはないですね。
それらは後付けで、さらに誰かの価値観です。そんなことで「自分認めないゲーム」をしているのなら、そりゃ逆にゲームを楽しんじゃってますよ(ちょっとキツイ言い方かな)
認めるってもっとシンプルで、実はもうできてることですよ。
あえて、辞めちゃってる人は多いですけどね。
あー、長なった。
はじめのAさんの話にもどると、Aさん自体が自分を「認めてない」にカテゴライズしているんだろうね。それだから必死に「他人に認めてもらう」ことで自分を「認める」を完成させようとしているね。
ただ、ここで他人を巻き込む必要あったか?っていうね。
自分で自分を「認めていない」と、他人も「認めない」からね。
私は私を認めませんけど、あなたは私を認めてくれないといけませんって!
または
私は私を認めていますけど、あなたも私のことを認めないと「認める」ことが完成しません!
逆に、私が自分を認めていたら、他人が私のことを認めないという選択をしても、それを認められるからね。
アイツは自分自身のことを認めてるみたいだけど、オレはアイツのこと認めないから!
もう、ご自由に
な世界ですよね。